1生け花を始めたきっかけは?
山口県で生まれ、家族が池坊を習っていたこともあり、学生の頃から池坊を習っていた。そのころ池坊の家元は山口県にいらっしゃったので、池坊の家元にも何度か習ったことがある。姉が名古屋に嫁いで手伝いが必要ということで、名古屋に引っ越した。自宅は八代流の大杉先生の稽古場の近くだった。結婚して電気屋を営んでいて従業員もたくさんいた。夫が昭和40年36才の若さで亡くなった後、自分が経営してきた。従業員に大杉先生の生け花を習わせたところ、池坊の花よりも賑やかで豪華な盛花を活けてくるのをみて、自分も習いたいと思い昭和41年から大杉先生の弟子となった。
2好きな花材は?
カキツバタが好き。葉っぱのむくげをきれいに取って水をつけるとしっかりと組むことができる。
3いけばなでこだわったことは?
生けた花は自分の家に持ち帰り、手入れしながら長く飾った。万年青は8月ころまで飾っていた。家の中が花展のようになっていた。
4思い出に残ることは?
大杉先生から、小林先生は生花がおじょうずだから自分よりも他所で習った方がいいといわれ、若宮神社(雲水会)や三輪神社でやっていた和生会に入ってそこで稽古した。和生会には、岡部先生、高木先生、矢田先生も稽古に来ていた。その後、若かりし頃の大澤家元、藤田先生、奥田先生も和生会に入って一緒に研鑽した。
大杉先生はお子さんがおられず、自分に後を継いでほしいと言われ、稽古場とお弟子さんを引き継ぐことになった。良いお弟子さんに恵まれた。
八代流の人たちはみんないい人ばかり。和生会にも3人くらい八代流の仲間がいた。仲間の一人の前田さんという方は四日市から習いに来ていた。旦那さんのビールの量を控えさせていたら、電車賃の方がビール代より高いと言われ通えなくなってしまった。他に山田さんという方もいて、そのご子息が八代流にいらっしゃる。
5これからの八代流に一言
いけばなは続けないとダメ。是非、ずっと続けてほしい。