谷澤先生

1生け花を始めたきっかけは?

大学受験に失敗して落ち込んでいたら、母から勧められて洋裁学校に通うようになった。その頃に紹介で閑中庵先生(桑山春子先生)のところにお茶とお花を習いにいくようになった。当時はおてんばだったけど、抹茶と花は楽しかった。無になれるところがよかった。関中庵先生からは生花だけを習っていた。生花ができれば自由花はできるといわれていた。

2好きな花材は?

水仙やカキツバタが好き。リアトリスも生けやすくて好き。

3いけばなでこだわったことは?

日本古来の自然の花を生けたいと思ってやってきた。 真行草とあるが、行もいいと思う。行はやさしさが出る。

4思い出に残ることは?

八代流の華展は年2回あった。美術館でやった華展では、3才の子供を連れて生け込をしたこともある。生け花だけはずっと続けた。お茶は途中から宗編本流に変わったが、義理の母の世話が大変になり辞めた。生け花だけは続けた。関中庵先生が亡くなった後は八代流の花は自分で稽古していたが、池坊の教室にも通うようになり、水仙の立花もやっていた。何か一つ取柄が欲しくて生け花だけは続けた。続けてよかったと思う。お茶は以後、習いにはいかなかったが、孫には教えた。何も考えず夢中になれる生け花は自分にとって大切だった。主人も協力してくれた。花がいいと思ったもう一つの理由は、生け花は人それぞれ個性がでること。お弟子さんの生け花を見ていて個性を感じた。
八代流では年に1度旅行があった。泊りも日帰りもあった。生け花の稽古とは違って、みんなが楽しそうにしていた。大澤万香家元がどどいつを歌ったりして楽しかった。万香家元の家が日進市にあったころは、万年青の稽古の後は家元の家で食事をしたりして楽しかった。昔の先生は怖かった。中でも矢田先生が怖かった。流展の時は、矢田先生たちに最初に挨拶に回った。

5これからの八代流に一言

八代流は歴史のある流。あくまで流の基本の形を守ってほしい。そのうえでさらに発展させていってほしい。 流が絶えないようにしてほしい。 八代流の基本はお生花。お生花をしっかりやってほしい。